新米ゲーム実況者の奮闘日記

①投稿日記:Youtubeに投稿している動画についての日記 ②しも太の日常:”実況者しも太”としての生活や諸情報 ③毎日ゲーム日和:投稿動画に関係なく綴る、ゲームに関する日記

はじめに

 ここ10年ほど、ずっと同じ想いに駆られてきた。何度か「忘れよう」、「諦めよう」と思ったことはあった。

 

 中学の時は部活もせず、毎日時間を持て余していた。親が厳しく、交友関係に興味がなかったことも相まって、僕は毎日がすごく窮屈に感じていたと思う。少ない友達ともよく喧嘩をした。いつしか僕は家でも一人でいることを望むようになった。一人が心地よくなっていた。好きになっていた。

そんな中、本当に時間だけはたくさんあった。

 高校に入ると何を思ったのかラグビー部に入部した。今振り返ってみると、それまでの人生の鬱憤を晴らしてやろうという気持ちがあったように思う。成果はそこそこだった。確実に人生で一番真剣になったと思う。

ただ、それだけに、高校生活だけは自分の時間がまるで無かった。

 その後2年間の専門学校生活、住まいは寮になった。実はこの専門学校を卒業するまで、僕は一度も働いたことがなかった。朝早く出発し夕方には寮に帰る、それ以降は全て自分の時間。そんな生活が毎日続いた。

ここからかもしれない。この想いにさらに拍車がかかり始めたのは。

 

 僕のこれまでの人生は何にでも使える暇な時間、つまり「自分の時間」が沢山あった。それなのにその間はなにもしなかった。いや、できなかった。たった一つの想いに揺らぐ心があったから。 

    "じゃあなぜその想いを何年間も放っておいたの?"

確かに。なぜだろう。たぶん想いというよりかは、ずっと「夢」みたいな存在だったんだ。手の届かないものだと思い込んでいた。自分なんかじゃ無理だと感じていた。

 

一体いつからだろう。この「想い」に心を奪われ始めたのは。

専門学校時代? いいや、この時にはすでに想いは存在していた。

高校時代? いや、あの頃の僕にそんな時間はなかったはずだ。

中学時代? 確かに時間はあった。でも、なんだろう。この頃にはすでに想いに駆られはじめていたような、、、。

 

 中学時代には、"すでに"、、、?

 、、、そうか、、、。あの瞬間はもっと、、過去(まえ)、、。

 

 

 

 忘れかけていた。あの日、僕がまだ12歳の猛暑日

 家族の目を盗んで、父親の書斎から持ち出した仕事用のPC。妙に重かったのを今でも覚えている。僕はそれを忍び足で自分の部屋まで運び出した。死守していた。すでに額からは大粒の汗をかき、急いで胃袋に詰め込んだ昼食の甘口カレーの後味などとうに忘れ、幼き僕のただでさえ小さな視界は、床に置かれた子供サイズのテーブル以外を見事に遮った。

慣れない手つきでアダプターを電源に挿し、急いで押した電源ボタン。親指よりも大きなプラスチックのボタンのなんとも言い難い機械的な感触、それとともにスピーカーから放たれるマシンの起動音。タイピングの音色。どれも脳を震わせるような快感だった。

そして僕は検索画面にある単語を入力する。「 ge-mu jikkyou 」

 

 

 

そこから先の世界はもうお察しの通り、見事に僕の人生を彩った。

学校、家、友達、誕生日やおもちゃまで、それの前では何一つ心を揺さぶるものはなかった。あれから10年経った今だからこそ、それ以外の大切さは身にしみて実感したが、この想いだけはやはり僕を揺さぶり続けた。

そして2020年、僕は今ある場所で勤務している。ここでは勤務以外の「自分の時間」というものが圧倒的に長く、またその時間の過ごし方こそが今、そしてこれからの自分を形成する。僕はそう感じているのだ。

ある程度の財力をもち、少しばかりの知識を抱え、想いは誰よりも強く握りしめた今、

夢と希望を現実にするべく、意気揚々と胸を張り、僕の口から放たれた言葉は一択だった。

 

 

 

          「しゃ、ゲーム実況すっか( ^ω^ )www」

 

                ー E  N  D    ー